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NyaoPress 読書と日常

思念波

朗読すること

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本を読む人はたくさんいると思うけど、朗読する人はあまりいないと思う。僕も同じだ。
だけど、昨日、思いつきでちょっと本を朗読してみた。


読んでみたのはテレビの「北の国から」5夜連続放送を見て思い出し、本棚から引っ張り出してきた倉本聡の「北の人名録」。20年ほど前の古い本で、倉本聡が富良野に住みついてからの出来事が面白おかしく書かれているエッセイ本だ。大好きな本で、面白いからカミさんに読んでみろと何度も言った。自分が面白いからって他の人が面白いと思うとは限らないから、読むのを押し付けるのもどうかとは思うんだけど、僕の生まれた富良野のことが上手に書かれている気がしたから是非読んで欲しかったのだ。
で、なかなか読んでくれないのに業を煮やしてカミさんが家事をやっている横でこの本を音読してみることにしたのだ。
やってみるとずいぶん難しいということがわかった。たまに読めない漢字があったりするのも困るのだが、本の文章と、口に出している文章がうまく一致しないのだ。読書をしている頭は文節をまとめて把握しているようで、気がつくと意味がほぼ同じでも本の文章とは違うことを言っていたりする。
読んでいるうちに、僕は朗読するにはとても難しい本を選んでしまっていることに気がついた。倉本聡はもともとシナリオライターだ。あたりまえのことだけど、演劇でも映画でもテレビでもシナリオは会話文が主だ。だから倉本聡はエッセイでも会話文をふんだんに使っている。しかも、北海道弁というか、富良野弁というか、その独特のイントネーションを現すために「?に傍点」という文字まで作り出して書いている。
僕は富良野生まれで北海道育ちだから、そのニュアンス、イントネーションはなんとなくわかる。だけどそれを本に書いてあるせりふのようにしゃべるのは難しい。黙読しているときはなんとなく雰囲気がわかってイメージしているんだけど、それを口に出して表現するのはかなり練習しないと難しいのだ。
アナウンサーなんかが発声練習をやる意味もなんとなくわかった。文章を読んでみると意外と自分の発音があいまいであることに気づく。自分のイメージしたようには発音できていなかったりする。
それに会話文が入ってくると、これはもう演劇に近い世界なのだと思った。
もうひとつ気がついたことは、やはり文章の表現力の豊富さだった。
僕は毎日のようにこのブログで短文を書いているけれど、自分で自分の文章が嫌になることがよくある。語彙が足りないこと、表現力がないこと。バックボーンとなる知識の浅さ。これらのことに気づいてもっと上手な文章が書けるようになりたいなあと常々思っているのだ。
文章は表現の手段でしかない。表現したいものがあって初めて魅力的な文章になっていく。しかし、たぶんそこには定石のようなものもあって、それが語彙であったり文体であったりするんだろうけど、その基礎的なレベルがやはり低いのだと思う。
この本を朗読してみて、改めてそういうことを考えさせられた。
倉本聡は出版をやっていた父親に、小さい頃から宮沢賢治を読めといわれたそうだ。賢治の文章にはリズムがある。それを吸収しろと言われたらしい。そして、今改めて考えるとずいぶん影響されていると感じるという。確かに倉本聡の文章にはリズムがある。そのテンポをうまくつかむ事ができればスムーズな朗読ができるのかもしれない。そして、自分の書く文章にもなにか変化を起こせるかもしれない。
うまくできないとなると、なんとなくもっとうまく読めるようになりたいような気になってくる。書くほうももっとうまくなりたいと今までより強く思うようになった。だからまた押し掛け朗読をやってみようと思っている。読んでみたい本はたくさんあるのだ。カミさんには迷惑かもしれないが。







-思念波,

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