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読了:知はいかにして「再発明」されたか

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「知の再発明」というイメージと言うかインスピレーションはやっぱりインターネットがあって生まれたものなんだろう。その観点で歴史を紐解いてみれば要所要所に知のパラダイムシフトがあったということができると。そういうことが書かれた本だ。

知識の継承とかリファインの方法としてはコミュニケーションによる方法と文書による方法に大別できるようだ。西洋ではギリシャ時代にはコミュニケーションが重視され、中世には文字による蓄積が重視されてきた。文書を作るコストは下がり続けているから今に至るまでほぼ文書による知識の蓄積とリファインが重視されていると言っていいだろう。インターネット時代でも今のところ文書が知識の代表だ。

ではニッポンではどうだったのだろう?体系的に文書が整理されたのは西洋でキリスト教文書が整理されたのと同じで仏典の世界だけだったのではないだろうか?それ以外の文書はあまり積極的に残して来なかったのではないかと思う。では知識の蓄積とリファインが行われなかったかというとそんなことはなく、いわゆる修行というもので連綿と伝えられたのだと考えられる。禅のような哲学であったり、職人の技術伝承であったり、世間知であったり。

人から人に伝えられるものは文書に比べて脆いように思われるが、ニッポンの比較的高い民度というのは人から人に伝わった知識によって支えられている。全く異なる文化に伝えるのは難しいが強固な知識である。

今、ハーバードの熱血教室とかTEDのようなところではよりコミュニケーションを重視した知識の蓄積、伝達、リファインが行われている。西洋の文書による知識文化はパラダイムシフトを必要としているのだろう。

文字だけで伝わるものよりも言葉によるコミュニケーションで伝わるもののほうが大きい。経験を積むことによって伝わるものはさらに大きい。ニッポン人は自然にそう考え、伝承を大事にするが、世界を見渡してみれば必ずしもそれが多数派ではないようである。

インターネットの世界はまだ文書の共有のレベルを超えていない。ここに次の世代の「知の再発明」手段へのヒントがあるような気がする。

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで
イアン・F・マクニーリー ライザ・ウルヴァートン 長谷川一 解説

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで
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