受動意識仮説


今日もCiNiiを検索していて、ちょっと面白い論文を見つけて読んだ。「受動意識仮説」というもので、この仮説に沿った機械をつくると「心」をシミュレートできるのではないかというものだった。要するにロボットに「心」を持たせるにはどうするかという論である。

ググってみると賛否両論ある。この論はいわゆる唯物論的なものなのである。

外界からの刺戟を常に処理する無意識的機構が存在し、意識はそれをダイジェストして記憶に残したり、出力したりする。ざっくり言ってしまえばそういうことである。ここでは鍵となるのは外界からの刺戟と、常に回転し、過去の記憶と照合し、記録し続ける無意識の機構である。

複雑な外界からの刺戟を記憶と照らし合わせつつ大量に並列処理をしていて、意識がそのどこかにスポットを当てては記憶に残したり手足や表情を動かしたりする。なんとなくそれっぽい動きをしそうな気がする。この機構を備えたロボットを作れば「心」があるように振る舞うかもしれない。

ただし、これは本当にロボットに「心」ができたということを意味しない。たまたま人から見て「心」があるように見えるということである(と論者も述べている)。

この論に反対する人はこの点を混同していることが多いようだ。受動意識仮説は人間の心のモデルであって心そのものではないということを敢て無視して反対している。(人もいる)。

まあ、僕にはそれはどっちでもいい。哲学的な議論はどんどんやってもらっていいのだ。僕は認知科学とか、心理学の観点から心の仕組みを理解したいのであって、心が作れるかどうかには興味が無い。ただ、心に似た動きをするプログラムを作ることが出来たら心の仕組みを理解するのに役立つだろうとは思うし、出来ることならプログラミングしてみたいとも思う。

賛否両論あるということはそれが最先端であるということを意味している。そういう分野を考えるのは面白いことである。今後の議論の行方をウォッチしていきたい。

今日はその論文から辿って2件の面白そうな論文を見つけた。あとでじっくり読んでみようと思っている。

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