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人格を考えること

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咳をしても一人

なかなか詠めない一句である。
僕のは幸か不幸かいろんな意味で一人ではない。一人ではないということは周りにいつも誰かいて、咳をすれば気遣ってくれるということだ。逆もそう。誰か咳をしていれば気にかかる。

他人から見えている自分はどんなモノだろうとふと思うことがある。それは人格というものだ。ここで言う人格は、人格者という意味ではない。ありのままに感じられている自分の姿である。
人格は学問的にいろいろな手法で分類されてきた。身近なところでは血液型による分類。全くと言っていいほど根拠はないが会話の中によく出てくる。他にも辞書から何万もの人格を表すと思われる単語を集め、分類した研究などもある。
残念ながらどれも人格のある断面を表したに過ぎず、人格全体を記述することには成功していないようだ。
考えてみれば当たり前のことである。人はそれぞれ個性がある。一卵性双生児でも育つ環境を完全に一致させることは不可能だからそれぞれ個性がでる。人格はそういうものなのだ。
では人格を対象とした学問は成り立つのか。
学問には何らかの分類がついてまわる。なにかそれらしい分類法を考え出して、測定し、その分類に基づいてなにかの対応を決めたりする。多分会社でもそれらしい学者の考えた尺度を用いているだろう。
それが正しいかどうか議論があれば、そこに学問が成り立つ。謂わば自分で火をつけて消火するような部分がある。
人格について考えることは人を考えることである。
人の数だけある人格をいかに記述するか。それは海岸の砂を数えるような作業であろう。それでも人格心理学という分野は成り立っているのである。







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