本の情報
どんなことが書いてあるのか?
- 個人の無知と知識のコミュニティ
- 「知っている」のウソ
- なぜ思考するのか
- どう思考するのか
- なぜ間違った考えを抱くのか
- 身体と世界を使って考える
- 他者を使って考える
- テクノロジーを使って考える
- 科学について考える
- 政治について考える
- 賢さの定義が変わる
- 賢い人を育てる
- 賢い判断をする
- 無知と錯覚を評価する
読んでどんなことを考えたか?
まずは「無知の知」なんて言葉を思い出した。簡単に行ってしまうとそういう事になってしまう。
が、この本がとてもおもしろいのは、人がなぜ「知っている」と思ってしまうのか、どんなことについてどんな風に知っていると思っているのかについて多面的な考察を加えていることである。
そして、さらに興味深いことがある。なぜ「知っている」と思うのか。この本では「錯覚」と言っているが、そう、錯覚してしまうのか。これは脳の重要な機能なのである。
まだ脳の仕組みは解明されているとは言い難いが、記憶の量的な観点で考えれば脳の容量は大したことがないという。たかだか1GBくらいだろうという試算もあるそうだ。USBメモリよりずっと小さい。
まあ、これはコンピュータの記憶方法に換算したらということであって、異論はもちろんたくさんあるだろうが、僕も実際には固定された記憶の量はさほど大きくないのではないかと推測している。それよりも重要なのはまさに「推測」である。記憶の量は大したことがなくてもそれから類推し、推測することは、まさに組み合わせ爆発的な量に増えることになる。ニューロンのネットワークは主にそれを支えていると考えるとそこそこ納得がいく。
人は、入力される情報をどんどん忘れていく代わりに、それを考えるネットワークを作っていくのだ。
だから記憶が正しいとは限らない。「考え出して」アウトプットしている。それを裏返して考えると、「実は知らない」ということになるのだろう。ここは今あるコンピュータとの決定的な違いである。AIは今の所「考え出す」というふうには作られていない。
こう考えると、単純な記憶を取り出すのはコンピュータが速くて、複雑な問題に答えをだすのは人間が早いということがわかる。人間は「知っている」のではなくて、それまでに培われたニューロンのネットワークから確率的に高いものを答えとしてアウトプットするのである。
いずれにしても、僕たちは自分が思っているほどは「知らない」。あっ、知っていると直感的に思っても、それを詳細に説明することはできないことが多いのだ。そのことは心に留めておいていいことだと思う。
では、「無知の知」を実際にどう活かすか。それはみんなで集まって考えることがひとつの活かし方である。異なる考えを持つ人達がたくさん集まって考え出すことは案外正しい。というかうまくいく。
一人で考えることには限界があることを知る。それが「無知の知」と言えるのではないかと思う。
面白かった?
面白かった。知ったつもりでやってしまった人類のとんでもない失敗のことを知るだけでもずいぶん面白い。それに、集団で考えることの中にインターネットのような機械を使うことも含まれていることがもっと面白い。人間は自分の手を道具によって拡張する。今はコンピュータとインターネットで脳を拡張している。知らないということを知ることはより知的生活を豊かにする。と思った。
まとめ
知ったかぶりはかっこ悪いけど、誰もが知ったかぶりをしているのだ。必要な知識の入り口をしっかりと抑えておけば大丈夫。「知っている人を知っている」というのが最強。案外そんなところに落ち着くのかな。