著者になりたい人をITの基本からサポートする読書と編集のにゃおです。
僕が10代の頃からいつも頭の片隅で考え続けてきたテーマについて書いてみる。
人工知能の冬
この話になるとその歴史を知るのが手っ取り早い。WikiPediaに頼ろう。
僕は10代の頃に人工知能に興味を持った。「マイコン」と呼ばれていた頃からコンピュータにあこがれていたのだから、人工知能に興味を持たないはずはない。
僕が学び始めた頃は何度めかの冬が来そうな頃だった。それまでの統計的な方法論(今の機械学習はほぼこの頃理論は確立されていた)が少し鳴りを潜めており、どちらかと言うと論理を積み重ねるというやり方でなにかできるのではないかと考えられていた頃だ。
プログラミング言語としてはテキスト処理に優れたLISPとか、一応演繹的な演算ができるPrologなんかが流行っていて、まあその頃はそれで何でもできるんじゃないかとか思っていた。(なぜかSmalltalkというオブジェクト指向言語が人工知能言語と言われたりしていた)。
で、ニッポンでは第5世代コンピュータという国家プロジェクトが始動し、Prologネイティブなコンピュータが作られたりして、華麗に失敗していったのだっだ。
僕は人工知能という言葉が持つ領域の広大さに打ちのめされ、システムエンジニアというブラック商売に足を踏み入れてコンピュータに幻滅し、僕なりの冬の時代を30年も過ごして、最近のAIブームというのを見ていることになる。
冬はまたくる
今のAIブームは機械学習が中心だ。コンピュータの性能が50年前とは比較にならないほど向上し、情報を集めるインターネットも世界を網羅するようになって、50年前に理論化された方法論を力技で実行することができるようになったわけだ。そういう意味では知的になにかが進んだわけではない。そう。50年前の知識にやっと追いついたという程度のことだ。
まだ人工知能という言葉が使えるのは、ビッグデータを使って大規模統計処理をすると、人の頭では思いもつかない答えが出ることがあって、それが神秘のベールをまとっているからであって、実の所を言うと統計を学んでいる人たちにとっては自明なことである可能性もあり、そのことがわかってきたらまた「なんだこんな事ができるくらいのことなのか」ということがわかってしまって、ブームは去る。すなわち冬がやってくることになる。
まあ、人ができないレベルの大きなパワーはそれだけで大きな進歩ではあるんだけど、それを知能と呼ぶのはいささか抵抗がある。そういう意味では人工知能なんて言うのは常に人間が勝手にハードルを上げていくゲームであって、ゴールはないのかもしれない。
いずれにしても一旦ブームは終わって、それはひとつの技術が世の中に定着した証拠でもあったりする。人工知能の冬は誰でも使える技術の幕開けということもできるのだろう。
本日の読書
読めば読むほど面白い。脳の話。これちゃんと読んでおいたほうがいいかも。
今日読んでいるのはこれだけだからとりあえずこれだけ上げておこう。これからまた他の本を読むかもしれないけどをれはまた明日。