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幸せとは触れられること

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著者になりたい人をITの基本からサポートする読書と編集のにゃおです。

1000問ノックをやっていてふと気づいたこと。

豊かなことが幸せか

いきなり哲学的な事を書き始めてしまったけれど、そんなに難しいことではない。

1000問ノックをやっていて、幼少期の理想の食生活について考えてみたら、案外好きなものが食べられていて、特別に望むものはなかったような気がしたのだ。お寿司とかケーキとか、特別な日に与えられれば満足だったし、それが日常的にあることが幸せというわけではなかった。

今と比べれば社会全体がそれほど豊かではなかったと思う。

そりゃあいつもお腹が空いている状態なら不幸だろう。だけどお腹が空いたらご飯が食べられて、たまに珍しいものが食べられる。それはそれで十分幸せだったのだ。

今は社会全体がもっと豊かになって、いろんなものがいつでも食べられるようになった。だからといって毎日寿司は食べないし、ケーキだって食べない。でも、いつでも食べられるということが、逆に幸せを少し減らしてしまったかなとも感じる。

ハレとケの、メリハリが効いているほうが幸せなのだ。

どういうことが幸せか

では幸せとはなんだろう?

ざっくり言ってしまうと、「自分で努力して得る」という経験が幸せなのだと思う。

スポーツとか、囲碁や将棋などの勝負の世界がそうかもしれない。

では、果たして世の中で流行っているゲームが幸せを作っているのか?

若い人を見ていると、ゲームに熱狂し、本当に幸せを感じているようにも見える。だけど、よく観察してみると、そこには「モノ」に対する飢餓感が溢れているようにも見える。

コンピュータやネットワークを駆使した情報の世界には実体がない。そこにはバーチャルなモノしかなくて、それは「触れる」ということに対してまだ頑丈な壁を破れていない。いくらコントローラでキャラクターを自由に動かしても、コントローラーと画面の間にはマイクロ秒レベルの遅延がある。タッチパネルにはガラスという物理的な壁がある。そのデリケートな差を人は感じ取り、気づきにくいストレスとして蓄積してしまうのだろう。なにか挟まった間接的な幸せである。

タンジブル・メディアという概念がある。タンジブルの基本的なイメージは、軍の参謀が作戦計画を地図の上でゲームのコマのようなものを使って立てているものである。

手で触れるものを実際に動かすことによって直感的になにかを操作できるモノといえばいいだろうか。

とても良い例が、そろばんである。手で触れることのできる玉を使って、直接的に数を操作することができ、玉はそのまま数を表示している。

そろばんほど優れた例は少ないが、音量を操作するならつまみを回すというのがわりと直感的だし、ボタンを押せば乗り物がやってくるエレベーターもまずまずだろう。

ゲームだって、ボードゲームが案外面白いのである。触れられるものがある。というのが脳を安心させるのだろう。

これからの幸せは、いかに触れられるものを作れるかということにかかっていると言えるかもしれない。

たぶん、紙の本が安心するというのもそういうことなのだ。紙の質感がコンテンツを何倍も面白くしている可能性はある。残念ながら電子本はまだまだそこにたどり着いてはいない。

幸せは触れられるものが作る。これが僕の今日の仮説である。

本日の読書

これから夕方まで外出だ。電車に乗る時間があるから、その間に読むのはこれだな。

 

江戸末期の混乱状態を広く詳細に描いた歴史書はこれまで読んだことがない。なかなかおもしろい。

 

読み終わった。仏教的価値観には僕はわりと馴染んでいるので違和感がなかったな。問題意識は面白いけど、世の中西洋的価値観の人ばかりではないぞと思ったりしたな。

 

1000問ノック。やっているとこの記事みたいなネタが出てくることもある。なかなかいいぞ。

 

さて、仕事してこよう。一日一日を丁寧に過ごそう。







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nyao

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本を書きたい人にITの基礎から学んでもらって、Kindleで著者デビューするまでをサポートします。 ITってよくわからないという人のために勉強会をやっています。 「読書と編集」という屋号でお仕事をしています。

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