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読了:計算不可能性を設計する

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僕がコンピュータの勉強を始めて間もない頃、「人工知能」という一種のバズワードが流行していた。
当時の人工知能は今のソフトウエア技術の水準からすれば未成熟なんてレベルにも達しているものではなく、今考えればRDBとSQLの組み合わせよりも幼稚なことしかできない知能であった。
数値ではなくテキストや論理を扱うLispとかPrologのような言語が「人工知能言語」としてもてはやされ、新しいプログラミングパラダイムとしてのオブジェクト指向が芽を出した頃だった。
僕はこのバスワードに夢中になって、LispやPrologの書籍を読み漁っていた。人工知能というキーワードに関係する書籍はかたっぱしから読んだりもしていた。
まだ誰でもコンピュータを使える時代ではなく、言語も自由に手に入る時代ではなかったから、そのころはプログラミングよりも本を読んでいろいろ考えを巡らせることが主体の勉強だった。
そんな僕の頭にふと思い浮かんだのが、以下のような疑問だった。
「間違えるプログラムは作れるのだろうか?」
もちろんプログラミングされた「間違い」は間違いのうちに入らない。それはプログラミング的に正しい答えを出しているだけのことだ。人間のように間違えるプログラムとはどんなものなのだろう?と思ったのだ。
この疑問は今でも頭の隅にあるのだが、要するにプログラムの一種の限界に対する認識なのだと思う。

この疑問を言い換えると「計算可能」ということになる。現時点でのITがソフトウエアの囲みの中にいるうちはこの「計算可能」な世界に止まることになってしまう。バーチャルな世界にのみ突き進もうとするIT世界はそこから逃れることはできない。
では、「計算可能」な世界から逃れるためにはどうしたらよいのか。それはITと現実の世界との接点をもっと密接にし、ソフトウエアの世界で常識となっている限界に甘んじることなく現実世界を拡張するITを目指していくことなのだろう。
そういう意味でITアーキテクトは「計算不可能性」を設計する存在でなくてはならない。

IT 技術者は自己完結しがちで、現実との接点が希薄になる傾向がある。そこから脱却するには、ひたすら「現場」と接しながらそこで行われていることをITで進 化させる必要がある。そして、そのアーキテクチャは社会学的な知見なくしてはまともに設計ができないのだから、社会学的な批判にさらされて鍛えられる必要 がある。

社会学者である宮台真司の言葉は高度に抽象化されて理解しにくいが、彼が発する疑問に対して答える神成淳司の言葉はITの現場の現実に裏付けられてわかりやすい。社会学的な問題意識をもってアーキテクチャを設計しつづけているから的確な答えが返せるのだ。

とはいえ、一度読んだだけでは理解できない本である。
ただ、ITとは単にコンピュータ活用ではないはずだという僕自身の問題意識に対して、回答のある方向を示してくれたように感じる。
さらに学ぶべきことが増えた。そういう意味で僕にとって得がたい本である。

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)
神成 淳司 宮台 真司

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)
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nyao

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本を読むのが大好きです。積読本が多数。システムエンジニア経験あり。プログラミング言語はRubyが好きだけどPHPとJavaばかり書いている。最近はJavaScriptも好きになってきた。クラウド使ったお仕事募集中。

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