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人材価値の勘違いについて考える

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某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント - MIYADAI.com Blog

今は新卒一括採用ゲームでの勝利が人材価値を保証しない。叩き上げで獲得した専門性が人材価値をもたらす時代だ。なのに教育界や親がいまだに『いい学校・いい会社・いい人生』である。教育界はこの「勘違い」で飯を食う利害当事者だし、親はかつての常識から抜けられない。

僕自身の学歴はたいしたことはないのだが、どちらかといえば専門性を目指してきて、自分で進路を決め、悩みながら自分の目指した道を突き進んできた方だと思う。
会社に入ってからいろいろ紆余曲折はあったけれど、今はずっとやりたいと思っていた仕事を自分で考えてやることができるようになった。まあ、人と比べればずっと遅いかもしれないが、義務教育を終えるころに持った当時はほとんど荒唐無稽だった夢を、ずっと実現性が高い形で追いかけることができているのは幸せだ。
僕の両親は別にいい学校に行けとは言わなかったし、いい会社に入れとも言わなかった。僕が自分で決めた進路に進むことを喜んでくれただけだ。

そんな僕がずっと不思議に思っている事ことがある。
まずは大学生に対して、なぜ勉強しないのかということと、なぜ勉強した分野を活かすことができる仕事につかないのか?だ。
もちろん、望んだ仕事につくのは難しいことだ。就職氷河期なんて時期もある。しかし、果たして就職するまでに自分が本当にやりたい世界を作ることができているのだろうか?
就職してから、「自分さがし」を本気でやっている人がいるというのにも驚いた。単なる流行語だと思っていたからだ。いい大人が自分のやりたいことがわからないなんてと思っていたのだ。

本当にやりたいことがあれば、やるべきことはそんなに多くないものだ。そして、その選択肢にがむしゃらに向かっていくしかない事が多い。そこで得た体験から自分の夢は強化されもする。要するに夢があればあとは自然に努力してしまうもので、自分がわからないなんて悠長な事は言っていられない。

僕の場合、夢の種は機械に興味を持つ幼い頃の僕に母が言った「エンジニアになったら?」という言葉だった。その言葉を核にしてひとつのテーマが夢となり、今は曲がりなりにもエンジニアと名乗って夢を追う自分がいる。
まずは夢の種を与えられるかどうかが親に課された最大の課題だ。そこに「いい学校・いい会社・いい人生」を与えるなんて、なんと怖ろしいことをするのだろうと思うのである。

たぶん僕は世間からちょっとズレたところをずっと歩いてきたのだろう。だから、昔も今も「いい学校・いい会社・いい人生」というのには違和感があるし、そういうことを平気で言う親たちを不思議な感覚で見ていた。逆に言うとそういう感覚のギャップのようなものは解っていたし、だからこそやりたいことをやるなら多少は苦しい道を歩かなければならないということも体感してきた。

だから上記の記事を読んでちょっとびっくりし、またなるほどと思ったのは、時代と自己または自己が身を置いている世間の感覚のギャップを未だに感じ取ることができない人々が教育界や親にまだまだ多くて、「いい学校・いい会社・いい人生」を本気で信じているということだった。子供たちが学校に通うようになって僕が感じつづけた違和感の根もそういうところにある。

少々冷たい言い方なのかもしれないが、「いい学校・いい会社・いい人生」なんて存在しない世の中で、どうやって生きていくかは結局のところ自分で考えるしかないということ、そしてそうやって考えながら生きていけるということが幸せだということをなんとしても伝えていきたいと思った。







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nyao

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本を読むのが大好きです。積読本が多数。システムエンジニア経験あり。プログラミング言語はRubyが好きだけどPHPとJavaばかり書いている。最近はJavaScriptも好きになってきた。クラウド使ったお仕事募集中。

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