思念波

ニッポン放送問題で考えたこと

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個人のブログでわざわざ断るのも変だけど、ごく個人的な意見を書きたいと思う。
ライブドアという会社は実業がなんなのか(僕には)ぜんぜんわからない会社だし、堀江社長にも喧嘩を吹っかけるのが好きなやつは面白いという江戸っ子的(道産子だけど)興味以外はない。
だけどフジテレビは着実に嫌いになってきた。元凶は日枝会長とかいう人に世代的な嫌悪感を感じていることのような気がする。
自分たちのもつ既得権益を当然のものとしてそれに対抗しようとするものを排除しようとする。これは一種の老害だと思う。日本全体がそういう老害におかされてしまって身動きが取れなくなっているのだ。そういうものに立ち向かおうという若い人が出てこないとすれば日本の将来は暗いと思わざるを得ない。
日本人は「和を以って貴しと為す」と聖徳太子が成文化した文化を二千年以上も受け継いできたから、新しいことに挑戦しようとすると「和」との矛盾解消にほとんど徒労とも思えるようなエネルギーを消費せざるを得ない。これはこれでひとつの文化ということはできるだろうけど、徐々にグローバル化の進んだ社会ではこういうことが往々にしてチャンスを失う原因になる。
そういう観点で見るとIT関連企業の代表的な経営者に既得権に挑戦しようとする姿が見られるようになったのは悪くない。もっとスマートなやり方があるのかもしれないとは思うけれど、是非挑戦は続けてもらいたいと思う。
既得権益側には守るばかりでなく自己変革する姿を見せてほしい。勝負になったら横綱相撲をとって見せてほしい。そういう姿勢が見えないフジテレビ会長の姿はあまりほめられたものではないと思う。


ちょっと観点を変える。
今回の一連の報道で、いわゆる「一般の人々の反応」というのがたびたび放映される。これを見ていて気になることがある。
インタビューの仕方にも問題があるのだろうけど、人々の反応がどうも「好き・嫌い」という反射的な反応を示しているように見えることだ。日本人にはよくある反応といっていいかもしれないが、この「好き・嫌い」二極型の反応というのは物事を論理的に考えることを放棄した姿勢に見える。
これも歴史的見ればごく当たり前の日本人的反応なのだろう。平安時代には情緒的な詩を書くことが政治(ごっこ)であった時代があるくらいなのだ。
しかし、これも世界中の人々が頻繁に行き来する時代に生きていくには苦しい反応なのではないかと思う。
直感は大切だと思うけれど、その裏には大量の知識の蓄積があり、経験があるものだ。そういう裏づけのある直感は少し考えれば論理的な説明ができるものだと思う。そういうバックボーンを持つことや、それをもとに考えるということを放棄してしまうと、より大量の知識や深い知恵を持った人々に太刀打ちできず、結果的に「流される」生き方になってしまう。
もう少し「理詰めで考える頭」を持ちたい。そのための訓練が我々も必要だし、これからの世代にはもっと必要なのだと思う。
僕は多少自戒と皮肉を込めて日本を呼ぶとき、「ニッポン」という書き方をする。
今回のニッポン放送問題は一企業名を離れて「ニッポン放送問題」という言うこともできるのだなあとなどと一人悦に入っている。
問題の成り行きに興味はあるけれど、いずれにしてもニッポンを一歩前進させるような転んでもタダでは起きない「ニッポン放送問題」であってほしいと思う。

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本を書きたい人にITの基礎から学んでもらって、Kindleで著者デビューするまでをサポートします。 ITってよくわからないという人のために勉強会をやっています。 「読書と編集」という屋号でお仕事をしています。

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-思念波

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