思念波

ニッポンを考えよう

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第45回 対日戦争勝利記念式典に思う日本と中国、その原点と未来 - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
この記事の中に次のような記述がある。僕が考えるきっかけになったのは引用文の最後の方にある「グランドデザイン」という言葉なのだが、そこだけ引用しても文章が成立しないのでちょっと長く引用する。
あくまでも記事の部分を引用したもので、僕はこの記事の内容について(要するに日中関係に関することだ)コメントするためにこの文章を書いたわけではないし、この引用だけでは執筆者の言わんとするところを誤解する可能性があるをことを先にお断りしておく。誤解を防ぐためには引用もとの記事の全文を読んで欲しい。

若い人のためにいっておけば、あの時代の日本は、あわよくば中国全土を征服して、中国に天皇制を押し付け、大日本帝国の一部にしようとしていたのである。「元」だって「清」だって、異民族支配の帝国だったではないか。今度は日本が中国を支配して新帝国を築いたっていいではないかと考えていたのである。
冗談と思うかもしれないが、本当なのである。
大東亜戦争が目的とした、「大東亜共栄圏を作り“ハッコウイチウ(八紘一宇)”の世界とする」というスローガンは、そういう意味だったのである。
そしてさらにその上で、ヨーロッパに覇権を確立したドイツ、イタリアと組んで、世界を再分割する(新世界秩序を作る)という発想だったのである(それが日独伊三国同盟の目的)。
おそらく、いまの若い世代の日本人は、この時代の大日本帝国指導者たちの誇大妄想的グランドデザインを何も知らない。

で、僕が何を思ったのかというと、今のニッポンにはここの文章で書かれている「グランドデザイン」というやつ、いわゆる地政学的な世界戦略のようなものが全く(誇大妄想的なものすら)ないように見えるということだ。
同じようなことを「アメリカ時代の終わり」を読んだときにも思った。
次の世界をどういう秩序で成立させることが自国のためになるのか、世界の国々は真剣に考えている。しかし、日本は海に囲まれていて、国境らしい国境をあまり持ったことがないから、どうも他の国との関係というのを真剣に考える姿勢が弱い。上記の引用文で書かれている「誇大妄想的グランドデザイン」の時代を経てしまったために今は自粛しているという考え方もあるかもしれないが、江戸時代には鎖国をし、さらにさかのぼって聖徳太子は当時世界最大の国家であった隋に対してとんでもない国書を送ったりしているくらいだから、日本人の島国根性はかなり根深いもので、地球規模の秩序を考えるということはまるっきり不得意な分野なのだろう。
技術的にも経済的にもずいぶん狭くなってしまった地球上で、そんな姿勢(隣国や世界との関係を真剣に考えない)を続けるのは難しいはずなのだが、いまだに政治家の中には国としての基本的立場を世界に示す文書でもある憲法の改正議論を悪のように言い、武力が平然と行使されている地域への国としての貢献の仕方のひとつである自衛隊の海外派遣を悪のように言う政治家がいる。
いや、そういう考え方を持つこと自体は自由だけれど、世界という観点から日本を見たとき、これらの問題点を議論することすら拒否することはそれこそ「グランドデザイン」なき姿勢なのではないかと思う。とはいえ、改憲や自衛隊派遣に積極的な政治家にしても、本当に「グランドデザイン」を考えているかどうかは疑問だ。
しかし、彼らを選んでいるのは我々であって、ニッポンの「グランドデザイン」なき姿勢を作っているのは我々であるということを忘れてはいけない。
今回の選挙は郵政民営化の是非を問うものだということになっているけれど、それは次のニッポンを作るための入り口を決めることでしかない。これを突破口として新しいニッポンを作り出せるかどうか、言わば「ニッポンのグランドデザイン」を決める大事な選挙なのだ。当然その中にはこれからの国際関係だって選択のなかに入っているのである。
身近だから経済問題を主たる選択要件としてしまう気持ちは僕自身強いけれど、「世界の中のニッポン」ということも頭において投票を行いたいものだ。「誇大妄想的グランドデザイン」の復活を防ぐためにもそれは必要な行動なのだと思う。
今度の日曜は投票日。自分の将来のかかった重要な行為である。投票に行こう。







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nyao

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本を書きたい人にITの基礎から学んでもらって、Kindleで著者デビューするまでをサポートします。 ITってよくわからないという人のために勉強会をやっています。 「読書と編集」という屋号でお仕事をしています。

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