思念波

学ぶこと、考えること、表現すること

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とあるブログで小学校から英語をやることに関して、日本語がきちんと話せないのに英語が話せるかということが書かれていた。なるほどと思った。
学び、考え、表現することを今の学校で十分に習得できるのだろうか?
これがまた自分の受けてきた教育を考えると心もとないのだな。
暗記型から抜けきれない教育って、足りないものが多すぎると思う。暗記が悪いわけではない。早く覚えればそれだけ早く先に進むことができるからだ。しかし、その「先」をうまく教えられる先生はどれだけいるだろう。
覚えたことをベースに自分で考える道筋を教え、さらにそれを他人に伝えることを教える。さらにそのような一連のプロセスができることを評価する仕組みが今の学校にはないように思う。それがいわゆる「きちんと日本語が話せない」ということにつながるのだ。その結果、「ちょー」とか、「ウザい」とか「ヤバい」とかシチュエーションでどうにでも変化することのできる便利な言葉だけ使うことになる。こういう言葉は考えて言うものではない。幼稚な感覚のままの表現なのである。
自分の考えをきっちりと相手に伝えることができるのがまず大事で、それができて初めて日本語でも英語でも本当に話せることになるというわけだ。
全て学校の責任というわけでもない。家庭で時には議論をするようなこともあまりないのかもしれない。周囲に聞いてみると夫婦で議論をすることなんかないという人が多い。
僕は口数が多いほうだから家人と議論をすることは多い。議論のネタはいろいろある。本であったり、テレビのニュースであったり。ネタはどんなものであっても相手の主張を聞き、そして自分も主張する基本は変わらない。
子供たちはそれを見て自分も言いたいことを表現する。そのためには「考え」をうまく表現する必要がある。家庭での議論が訓練になると思っている。
ニッポン人には議論とケンカの区別が付かない人が多いから、家で議論なんてと思う人もいるだろうけど、それではダメなのだ。議論なんて疲れるから嫌だという人もいるだろう。そりゃあ頭を使えば疲れるのは当然なのだ。考えることに怠慢では頭は退化する一方だろう。
言葉は言いたいことがなければ出てこない。もっと考え、表現することを子供たちに学ばせよう。英語は必要になってからでも遅くない。

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nyao

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本を書きたい人にITの基礎から学んでもらって、Kindleで著者デビューするまでをサポートします。 ITってよくわからないという人のために勉強会をやっています。 「読書と編集」という屋号でお仕事をしています。

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