オーマイニュース創刊 -- ナビゲーションのないメディアの脆さ
この記事を読んでなるほどなあと思った。
5年、いや3年前ならいざしらず、これだけブログが普及して、数々の記事のリンクや要約は当然という時代に、そういうい機能を欠いたサイトが新メディアといえるのだろうか?という疑問は持っていたが、インターネットの中での記事の位置づけを担保する方法のひとつとしての双方向性とか、記事の多角的な参照というような具体的な問題意識までには考えが至らなかった。この視点は現在のオーマイニュースのサイトをアクセスしたときに、なぜ新鮮味を感じないのか、なぜどこか危うさを感じ取ってしまうのかということをうまく説明していると思う。たぶんインターネットのサイトを見る時に無意識にやっている分析思考を妨げるようになってしまっているのだ。
では、なんとなく僕の感じた反発と同様のことが書かれていて、思わず「そうなんだよなあ」なんて言ってしまった。
まあ、ある種のスタンスを持ってサイト運営するのならそれはそれでいいと思うのだが、自分の偏見とか偏向の影響度合いを鑑みることなく中立性を云々するのを見るといい加減にしろといいたくなってしまうわけだな。
新しいメディアを作るという理想は悪くない。しかしそれは今までの新聞というメタファの延長線上で考えるのは難しい。そういうことを現時点のオーマイニュースのサイトは語っているのかもしれない。