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考えること

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人が「考える」ってどういうことなんだろう?このところそんなことをずっと考えている。どちらかというと哲学的な意味ではなくて、脳科学的(といってもぜんぜん素人なのだが)な意味でのことだ。

「考える」といってもいろいろな「考える」があって、まだそれすらきちんと区分できないくらい漠然としているのだが、今はとくに「認識」と「推論」という部分について考えている。どうやらどちらも記憶の仕組みが重要なのだなということがわかってきた。

二十数年前、僕は当時話題になっていた人工知能に興味を持って、Prologという言語を使った演繹的推論というのを勉強した。今考えてみればSQLのほうが賢いのではないかと思ってしまうのだが、推論機構と記憶システムが密接に統合されているというのはなかなか暗示的であるなとも思う。LISPではデータとアルゴリズムの表現がテキストよりもちょっと上で統一的に扱われているが、脳が持つ仕組みも実はこれくらいシンプルな繰り返しの構造を持つ可能性がある。

PrologもLISPも、二十数年前ではマシンが非力で事実上使い物にならなかった。なにしろ記憶が統合されているわけで、メモリをばかすか使うのだ。今でもこの状況は本質的にはあまり変わっていない。データはDBMSなどで別管理するのが当たり前で、相変わらずアルゴリズムとデータは完全に統合されていない。

脳と同じような処理を行うには、少なくとも全てのデータが常にメモリ上にあるようにシームレスに扱うことができる必要があるのではないかと思う。さらに言えばいろいろなアルゴリズムも推論の材料や結果の仮説の一種としてデータのように扱えるようにする必要がある。これをやるには今のオブジェクト指向ではまだ不完全だ。

こう考えてみると、現状は二十数年前に学んだ状況と大きく進んでいるとはいえないことがわかる。すでに二十一世紀にどっぷり足を突っ込んでいてもだ。

今がそうなのだから二十数年前に会社に入った頃は僕が学んでいた知識を生かす部署はごく一部の研究室レベルで、実用システムではまったく相手にされる状況ではなかった。それがやっと最近になってなんとか生かせそうな状況になってきた。

実用性を高めるためには当然新しい技術や知識が必要で、今は頭が痛くなるような数式がたくさん書いてある教科書を読んでいる。当時と違ってアルゴリズム実験に使える言語処理系はタダで手に入るし、論文などもインターネットで読むことができる。「考える」ことを考える。そんな状況がとても幸せに感じる二十数年ぶりの春なのである。

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本を書きたい人にITの基礎から学んでもらって、Kindleで著者デビューするまでをサポートします。 ITってよくわからないという人のために勉強会をやっています。 「読書と編集」という屋号でお仕事をしています。

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