お腹は空くのである。だから何か食べる。
これを食欲とはたぶん言わないだろう。なにか食べたいものがある。おいしいものを食べるのを楽しみにする。それが食欲なのだと思う。
そういう意味で食欲がない。毎日淡々と食事を作り、食べる。まずいということもないが、特段感動することなどない。なぜ自炊をするかといえば、外食するにも食べたいものが見つからないし、コンビニには全く食べたいと思うものがない。よほど気力が落ちて何もする気が起きないときにコンビニに行ってみたりするけれど、買うものはない。そういう時は家に一番近い店で、機械的に弁当を買って食べる。とてもうまいとは言えない弁当でとりあえず腹を満たす。
きっと心は飢えている。なにか心が満たされるものを求めている。食べ物も心を満たすものの一つで、日常の生活の中ではとても重要なものだと思う。そういう意味で食欲がないというのは問題があると思うのである。
一番身近な感動がない。振り返ってみればいろんなことに無感動になっているような気がする。年齢のせいもあるのかもしれない。「やる気」がおきにくいということも大きいだろう。何かをやって何でもよいから結果が出て、その時に感動が生まれるのだ。
ましてやお腹が空かないなどというのは最悪だ。食べることは動物として最低限の行動を行うことなのだと思うからだ。お腹が空かなければ行動を起こすこともない。時計を見て、義務的に何かを食べるということになればそれは苦痛になる。
食欲がないというのは苦痛である。何も用事のない休日。外に出る気力もなく、集中することに苦労しながら読書をする。当然お腹が空くこともなく。苦痛だけで過ぎていく。今日もそんな日だ。
行動が必要なのだ。そこからなにかが始まり、動き回ることでお腹が空いて、そこでおいしいものが食べられれば何かが満たされるだろう。まずは動かなければ。と考えだけが空転する。
何かが欠けてしまった。それを取り戻すのは難しい。