猫のこと
世の中にはいろんな人がいる。その中には猫に餌やりをするのを生きがいにしている人もいる。お年寄りが多いようだが、可愛さのあまり餌をやる。その気持ちはわかる。
子育てが一段落して、子供が家を出てしまうと、覚悟していたよりも淋しく感じるものだ。自分がどんどん歳をとり、生きる意味がわからなくなってしまうこともあるだろう。そんな時に、猫を飼い始める人もいる。
残念なのは、そういう人たちの中に、本当に猫のことを考えてはいない人もいるということだ。自分優先。猫は自分のためにいる。
各地で猫の多頭飼育が崩壊して問題になっている。猫は自然に任せて繁殖する。自分では面倒が見切れないほどに増やしてしまってから、自分が病気で入院する。あるいは死んでしまう。残された猫はどうしようもなく、保健所へ。そして殺処分。
殺処分。なんて怖い言葉だろう。猫一匹にも命はある。自分でどうにもできないから人に殺してもらう。卑怯だ。
卑怯だということは簡単だ。だけど、殺処分を容認している僕たちにも責任はあるのではないだろうか?
猫が好きな僕は、初めて行った猫カフェでそういうことを考えさせられることになった。考えさせてくれたのはツキネコカフェだ。
ツキネコカフェの属するNPOのツキネコ北海道にはどんどん劣悪な飼育現場から猫たちが保護されてくる。殺処分直前の猫が引き出されてくる。殺処分ゼロを目指して活動しているのだ。
どんどん保護される猫をツキネコがずっと飼い続けるのは無理だ。だから、具合の悪い猫をケアして健康にし、去勢や避妊手術をしたりして、面談の上で正しい飼育ができると信頼できる人に譲渡を行なっている。
僕も微力を尽くして保護に関わりたいと思った。ツキネコカフェを利用したり、微々たる寄付をしたりしてきたが、やっぱり本当に役立つのは譲渡を受けてその猫を幸せに暮らさせることだと思った。
思い切って譲渡してもらうことにした
今年は札幌東急で猫レクションという全館催事があって、そこにツキネコが参加していた。譲渡会がデパートで行われるのは珍しい。猫を見るのは好きなので、僕とカミさんは行って見ることにした。
何頭かの猫たちがケージに入っていた。どの子もかわいい。とりわけ子猫は猫じゃらしに跳びつく姿が愛くるしい。
でも僕の目に入ったのは成猫の方だった。
-
-
ねこさんがやってきました
火星からやってきました。 デパートが猫一色になった この間、札幌東急デパートで「猫レクション」という催事をやっていた。全館で猫にまつわる商品を出していて、かなり力の入った催事だった。 その中で、猫の譲 ...
しばらく逡巡したが、思い切って話を進めることにした。そして猫と暮らす日々が始まった。
猫との暮らし
猫を迎える準備の一番大事なのはごはんとトイレだ。迎えに行く前にホームセンターに行って、そのほかに爪研ぎとキャットタワーを買った。それから、迎えに行く時に猫を運ぶバッグも必要になる。それらを揃えていよいよ猫を迎えに行った。
選んだ猫は成猫なのでおとなしかった。トイレの場所もすぐに覚えた。全体に手がかからない子だった。
問題はごはんだ。とりあえずカリカリと缶詰のウエットなタイプを混ぜて与えた。しばらくはそれを黙って綺麗に平らげていた。
しかし、次第に食べるのがのんびりになってきた。多分保護へやにいた時には競争になっていたごはんが、一頭飼いになって競争がなくなって余裕が出てきたのだろう。一気に食べるのではなく、皿に残してのんびり食べるようになった。
さらに暫く経つと、今度は同じようなごはんに飽きてきたようで、食べ残すことが増えてきた。違う味を選んだりしているが、パウチは食べるけれどもカリカリは食べないというような選り好みをするようになった。
あまり食べないと体調が悪いのではないかと心配になってくるが、トイレはしっかりしているし、家の中を走り回ったりはしているのでその心配はなさそうだ。
だんだん家族の役割や家事の様子なども覚えてきて、最近は台所に立つと冷蔵庫の前で黙って立ったり、ごはんの用意を始めると足や手に頭を擦り付けて甘えるような仕草もするようになってきた。それでもごはんが出てくると少し食べたらやめてしまったりする。不満げにごはんの前に黙って立っていたりする。
あまりカリカリを食べないので一計を案じた。皿に置いたカリカリを手のひらに乗せて口元に持って行ってみたのである。すると全部食べてしまった。ひょっとすると甘えたいのかもしれない。
いつもはあまり触られるのを好まない。だから甘えに来ることもない。だけどきっと甘えたい気持ちがどこかにあるのだろう。そう解釈して、僕は手のひらをお皿にしてごはんを食べさせている。猫に下僕ありだ。
心の変化
猫は気まぐれだからその気持ちを推し量るのは難しい。だからいつも猫がどんな気持ちなのか考えている。
僕はうつの寛解状態なのだが、内省することが多かった自分が、猫のことを考えている時間を持つことで少しずつ変化している気がしている。家族のことも前よりも考えるようになった。自分だけに閉じていた世界が少し開いてきたようだ。
いつのまにか猫を中心に生活が回っている。他者に振り回されることを容認している。
癒されるというのはこういうことかもしれない。
今は丸くなって眠っている猫の顔を眺めているのが一番の幸せなのである。