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むかしばなし(1)

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僕とコンピュータとの関わりの始まり

僕のコンピュータとの関わりの始まりは、中学生の頃、オフコンみたいなパソコンが電気店に飾られていたのを触り始めてからだ。今考えるとあのオフコンみたいなパソコンは誰に向けて販売されていたのだろうと思うのだが、展示品は自由に触ることができて、そのころは電源を入れるとBASICが走り始めるのがあたりまえだったので、最初に覚えたのがBASICだった。

毎日のように電気店に通ってBASICのコードを打ち込んで動かしてみた。まだOSという概念がなくて、今考えればBASICがOSの役割を果たしていたのだった。

それから学校でFORTRANを勉強した。このブログを読んでいる人でパンチカードや紙テープでコーディングをしたことのある人はどれくらいいるだろう。パンチカードは不注意でデッキをばらまくとロジックを考えながら並べ直さなければならないという代物だが、とりあえずパソコンではない大きなコンピュータを使うのはそういうものなのだと思ったことがある。

今考えればパソコンのほうがずっと進んでいたのだが、紙テープとか磁気テープがぐるぐる回っているコンピュータは憧れのマシーンだった。

そのうちパンチカードを使うコンピュータは撤去されて、CRTの端末がたくさんぶら下がったメインフレームに置き換わった。OSというものを触る最初の体験になったのだが、パソコンとの違いがわからず、とりあえず言われたとおりにFORTRANのプログラムを端末で書いて、コンパイルして、結果を画面で見て、なぜパソコンより大きいコンピュータがパソコンより使いにくいのかわからずにいた。

パソコンの方もじわりとメインフレームに近づいていった。CP/MとかUCSD P-SYSTEMとか、DOSとか、OSを使うようになってきたのだ。でもまだファイルの概念もピンとこない状態で、OSってなんだろうと思っていた。

メインフレームとは別の流れにミニコンという世界があった。そして、その世界にUNIXがうまくはまっていた。僕はまず本でUNIXを知り、その世界観に憧れた。卒業研究をやるころには、UNIXマシンを導入した助教授の研究室に潜り込んでUNIXを使い、CとLISP,Prolog,Pascalを覚えた。パソコンはMS-DOSが走るようになっていたが、まだだまって立ち上げればBASICが走るというのが常識で、スタンドアローンでBASICを書くのもの楽しくはあったが、UNIXのmailが使えるような環境がやっぱり素敵だと思っていた。

その勢いで、メインフレームを作っている会社のソフト子会社に就職した。そして落胆した。メインフレームでCOBOLを使ってプログラムを書くのは苦痛だった。システムエンジニアとしてシステムの導入作業をしなければならないので通信とかオンライン処理とかバッチ処理とかを制御するOSというものの正体がやっとわかってきた。巨大なメインフレームはそれを制御するOSがなければ動かないのだ。たくさんある回線とかプロトコルの種類に四苦八苦しながらシステムを動かしていた。

とりあえず、ここまでが僕の前世だ。真ん中にマシンがあって、そこにたくさんの端末がぶら下がっているモデル。これが基本で、パソコンはホビーの世界というイメージだった。

なぜこんな話を書こうと思ったのか?

ふと、今のコンピューティング環境が先祖返りしているような気がしたからだ。

今日はここまでにしようと思う。続きはまた明日。







書いた人

nyao

nyao

本を読むのが大好きです。積読本が多数。システムエンジニア経験あり。プログラミング言語はRubyが好きだけどPHPとJavaばかり書いている。最近はJavaScriptも好きになってきた。クラウド使ったお仕事募集中。

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