前回は
僕がシステムエンジニアとして、メインフレームのOSで今考えればネットワークの設定に四苦八苦していたということまでを書いた。
メインフレームはもともとバッチ処理をするものだった。それがオンラインになって、物理的な回線の種類が増え、その上で通信を制御するプロトコルもいくつもある状態で、マシンの本体の中は中央処理装置よりも回線処理装置のほうが大きいくらいだった。大きな会社ではメインフレーム一台に全国に何百台も端末がぶら下がっていて、コストに応じていろいろな回線が使われていたのでその設定は大変だった。
一晩でマシンと端末をリプレイスするような大掛かりな仕事をセンター側からペーペーの新人が対応させられたのは大変だったが良い経験だったと思う。
ダウンサイジングの時代になった
まだWindowsが生まれたての頃、LANにEthernetが使われるようになってきた。それを使ってパソコン同士がつながるようになった。パソコンがまだネットワーク機能をオプションでしか持っていない時代で、NetWearなどが活躍していた。
WANの世界ではパソコン通信が出始めた。海外のパソコンLANの情報を羨ましいと思って見ていた頃、やっとPC-VANとかNiftyServeが国内の主要都市にアクセスポイントを置いてパソコン通信が使えるようになった。
僕も早速どちらも契約して2400BPSのモデムでパソコン通信を初めた。が、使っていたのはSONYのワープロだった。その頃はワープロ専用機が全盛で、コンパクトなノートPCはまだ登場していなかった。SONYのワープロはカバンに入れて持って歩けるサイズでなかなか使いやすかったのだ。
文字だけのやり取りから、プログラムのやり取りが始まった。僕は結婚したばかりで、パソコンを買うのはなかなか大変だったけれど、その頃はまだ会社のパソコンを自由に使える時代だった。会社のパソコンを家に持ち帰っていろんなプログラムをダウンロードして動かしていた。
Windowsが出て、ノートPCにはモデムが内蔵され、パソコンがネットワークに繋がり始めた。僕は当時30万円以上もしたMacintoshを買った。ジョブズの追い出されたダメなApple時代のことだ。徐々にインターネットが話題になり始めた。
札幌に初めてアクセスポイントを置いたのはBEKKOAME INTERNETという会社だった。早速契約していた~ネットデビューとなった。MOSAICでWebの世界にワクワクした。アメリカのどこかの大学のコーヒーメーカーの残量の画像を見てすごいと思った。
そして、Windows95で決定的なことが起きた。インターネットが標準になったのである。
それまでは仕事の世界ではまだまだホビーPCと業務用PCには壁があったが、徐々にホビーPCが業務に使える時代になった。Windowsのサーバー製品も出始めて、インターネットの技術が当たり前になった。あれだけ苦しんだ回線接続はTCP/IPに統一されて楽になった。
Linuxが業務に使えるようになってきたのもこの頃だった。もっぱらサーバ用途だったけれどもほぼUNIXの環境が使えるのは色んな面で少なくとも僕にとっては楽だった。
これでクライアント・サーバ構成でパソコンを使って業務を行うというのが一般の会社でも当たり前になってきた。
ソフトウエア会社でさえ端末が一人一台なんて夢だった頃からみれば全員がパソコンを持つという今では当たり前の時代がやっとやってきたのである。
電子メールが使えるようになり、部署ごとに興味のあるものが勝手にホームページを作ったりして楽しい時代だった。個人でもプロバイダのリソースを使ってホームページが持てるようになって、僕は今で言えばブログのようなものを書くようになった。週に一回。日曜日に更新。当時はHTML一本槍でページを作っていた。
ダウンサイジングとよく言われていたが、本格的に企業の業務がダウンサイジングするのにはまだ間があった。まだHTTPサーバとHTMLでは本格的なオンライン業務には耐えられなかった。
しかし、サーバとパソコンの分散処理が当たり前にはなった。とりあえずサーバに共有ドキュメントを置いたり、パソコンのアプリケーションから直接サーバのOracleとかをアクセスするような運用がよく行われていた。基本はパソコンのプログラミングだったので比較的楽な時代であった。
この頃は仕事は趣味の延長みたいなもので結構楽しくやっていた。もうメインフレーム時代の苦しい開発に戻る気はなかったのだ。
今日はこんなところにしておこう。
続きはまた今度。