前回は
ダウンサイジングの始まりの頃を書いた。まだファイル共有とか、クライアント・サーバ方式機でのデータベースアクセスとか、そういうのが新しいと思われていた時代だ。
メインフレームは集中型の処理だったから、クライアント・サーバ方式は画期的だった。クライアントとサーバが分散して処理をするからだ。大幅に処理がクライアント側に移った。まさにパソコンの時代だった。そして、メインフレームの軛から開放された僕にとってはとても楽しい時代だった。
インターネットとWebが本格的に使える時代が来た
Windows95が出てすぐにインターネット接続機能をサポートして、それまでパソコン通信をやっていた会社もインターネットの接続回線を提供し始め、IIJのような基幹ネットワークプロバイダも現れて、インターネットは急速に整備されていった。
電話回線で9600bpsくらいで接続できるようになり、Webサイトが急速に増えた。YahooやGoogleも現れた。日本ではISDN回線をNTTが提供していたので、ルータを家に設置すれば64kbpsで接続できるようになり、それまで通信中はできなかった電話も使えるようになった。
まもなくADSLでの常時接続も始まった。この頃にはECサイトもすでに現れていて、徐々にインターネットが実用になるようになってきた。
もちろん企業でも徐々に回線インフラをイントラネットに変えるところが出てきて、それまで情報の公開が主眼だったWebページで入力を含めたトランザクション処理を行うことを考えるようになってきた。
もともとのWebブラウザは基本的に情報を共有することを主眼にしていた。httpはデータの入力・更新もサポートしていたが、検索が使われることが多かったのだ。とにかくブラウザは入力・更新処理をするには貧弱だった。
サーバサイドに目を転じれば、httpサーバも貧弱だった。ドキュメントを検索することが主たる任務だったのに、そこに大量のトランザクションを突っ込もうということになってきたのである。いろいろなフレームワークが開発された。Webサーバの裏側にトランザクションを処理するアプリケーションサーバを置くという構成が生まれた。
シンプルだったシステム構成はどんどん複雑になり、バギーなブラウザをなんとかフォローしながらトランザクション処理を行うという悪夢のようなプログラミングを行わなければならない時代になった。サーバサイドの業務アプリケーションはJavaで書かれるのが主流になった。
COBOLエンジニアをJavaエンジニアにするためにおかしなフレームワークを大真面目に作って大手のソフト会社がシステム開発に利用したりしていた。
その流れは今でも続いていて、未だにオブジェクト指向のわからないエンジニアやユーザのために変なフレームワークを作って、それでシステム開発をしている現場もある有様だ。
複雑さは増し、デスマーチの嵐。トランザクション量は増え続け、サーバは青息吐息。
気づけばメインフレームの時代に戻っていた。
ブラウザというダム端末とサーバというメインフレーム。その論理的構成は一緒だった。
苦しい時代がまたやってきた。だが時代はどんどん展開していく。
次回はいよいよ現代のことについて書こう。